神奈川区宮陵会

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会長挨拶

1981(昭和56)年法学部法律学科卒の萩谷紀之と申します。宜しくお願いします。

前任の大先輩久米様のあとを受けて、この度、神奈川区宮陵会の8代目会長に就任いたしました。

(株)丸運を2023年3月に退任し、縁あってその年の4月から郵船ロジスティクス(株)複合輸送部シニアアドバイザーとして、3年間の契約でフルタイム勤務(月~金)しております。前職では社内イントラネットやインターネットぐらいのIT利用でしたが、この会社では全てがITを駆使した機能性豊かな環境で、ペーパーレスはもちろん、社内会話も全てTeamsチャット利用等、IT難民の私には未だに周りの方達に聞きまくり状態です。
この会社は、海外48か国に600拠点を構えた、グローバルフォワーディングカンパニーであり、書類やメールもほとんど英語主体であり、国内事業を42年間も経験してきた私にとっては、ITの次に厄介な存在になっています。

さて、会長就任に際し、大先輩のご苦労が手に取るように分かっていましたので、あとを継ぐには正直なところ少し抵抗しようと思っていましたが、有無も言わせない諸先輩方のプレッシャーに負けこのような大役を引き受けることになってしまいました。
大学のお膝元である神奈川区宮陵会を生かすも殺すも、会員皆様のご協力があってこそ、と思っている次第です。当然ながら私自身も仕事との掛け持ちでどこまでこなせるか自信はありませんが、精いっぱい努力したいと思っていますので、皆様のお力添えを期待しております。

時節柄、三寒四温の不安定な時期ですが、皆様どうぞご自愛くださいませ。
今後とも宜しくお願い申し上げます。

さて、神奈川大学神奈川区宮陵会の歴史を紐解くと当初は社団法人宮陵会の神奈川区支部として昭和28年(1953年)に発足しましたが、発足後からの活動の記録が暫くないので活動の実態は不明な期間がありますが、年数からは今日まで71年の歴史を紡いできたことになります。

宮陵会本部は何度か組織や経営形態の変更でその名称を変更しておりますが、神奈川区の組織も同様に「神奈川大学宮陵会神奈川区支部」から、今は「神奈川大学神奈川区宮陵会」となっております。
本神奈川区の記録上表れる最初の会長は、昭和53年(1978年)の昭和13年商科卒業の藤沢袈裟利先生でした。
その後、2代西川万水氏、3代石山信治氏、4代梅景治氏、5代野道昭三氏、6代春原正三郎氏、7代久米信行という歴代の会長を経て神奈川区宮陵会の運営を引き継いでまいりました。

神奈川大学はこれまで、昭和40年代から50年代へと続いた学生運動やそれに伴う経営上の危機など、時代の荒波にもまれてきましたが、社会の変化を捉えた自らの改革により、その危機を乗り越えてきました。
具体的には、学生運動の拠点を一掃し、一方で学費値上げや昭和63年の中山キャンパスの附属学校設置や平成元年の平塚キャンパスの設置などの拡大政策による経営の立て直しを行い、将来に備えました。その結果、平成12年・13年の横浜キャンパスの再開発を可能とし、そして今度は令和3年を起点としてMMキャンパスの設置と横浜キャンパスの再整備と学部新設再編など将来の命運をかけた大きな改革を手掛けることになりました。
その中に運命的なものを感じるのは、創立者の米田吉盛先生の横浜から世界へ飛び立つ学生を輩出するという思いが、実ったと思えるからです。今後どのような学生を輩出するかが楽しみです。

神奈川区宮陵会は横浜キャンパスのお膝元の宮陵会です。先ずは総会で決めたとおり、神奈川区として神大みなとみらいキャンパスへの寄付を行うなど、引き続き、神奈川大学の政策に対し、身近な組織として応援してまいります。
そのためには組織の一体感が求められます。今はコロナで疎遠になった会員同士の心を繋げて、土台を作り、そこから大学の政策をどのように支援できるかを考えていきたいと思います。
以上により、令和6年度はコロナで失われた3年間を取り戻しつつ会員の輪を広げていくことを重点的に進めてまいります。

最後に、今後、神奈川区の強化を図るためには、皆様のご協力やご理解が必要です。これからも皆様とともに神奈川大学を共に盛り上げるようお願い申し上げ、挨拶の言葉とさせていただきます。

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